ちいさなりんご ガラスペン

青森出身の人気タレント・王林さんがテレビで紹介したことで人気に拍車がかかった青森県指定の伝統工芸品「津軽びいどろ」。職人さんの手仕事によるガラスの食器や花瓶は、青森ならではの色彩美と現代的なポップさが同居しており、若い世代にも支持され始めています。

津軽びいどろを制作するのは青森市内にある老舗ガラス工房、北洋硝子。100種類以上の色のレシピを独自で開発し、色彩豊かなガラス製品を生み出してきた北洋硝子に持ち込まれた依頼は“りんごをモチーフにしたガラスペンを作ってほしい”というもの。

青森を象徴するりんごと明治時代に開発されたガラスペンのコラボレーションはどうやって成功したのでしょうか。その誕生秘話をひもといていきます。

北洋硝子工場長 中川洋之さん
津軽びいどろで扱う製品すべての色づくり・溶融を一手に担う。その高い技術が評価され、2012年には「あおもりマイスター」に認定。ガラス職人として30年以上を歩み、ガラスの色づくりに関して豊富な経験や実績をもち、現在は後進の育成にも尽力。

津軽びいどろの職人に「できない仕事はない」

「このインクは弘前の平山萬年堂さんのもの。“インク沼にハマる”っていう言い方があって、インクマニアがかなりいるそうです」。

そう話しながら、溝が縦長に複数通っているガラスのペン先をりんご型のインク壺に軽く浸したのは北洋硝子工場長の中川洋之さん。慣れた手つきでかすかに動かすと、少量のインクが吸い込まれるように上昇していきました。これは毛細管現象といって、ガラスの付着力と表面張力が合わさって、インクが上がっていく働きです。一度インクを付着させると長い文章が書け、水でゆすいで洗うとすぐに別色のインクを使えるという長所も。

筆者はインクを付けて書く文具は漫画のGペンや万年筆だけかと思っていました。万年筆にはマニアやコレクターが存在することは知っていましたが、ガラスペンは未知のジャンル。なにせ、今はデジタル隆盛の時代です。シャープペンシルやボールペンを持つ時間すら減るいっぽうなので、ガラスペンというレア文具にはふだんの生活ではなかなかお目にかかれません。しかし、ガラスペンにも愛好家がしっかり存在しており、特に近年は静かなブームとなっているのだとか。

浮玉で培った昔ながらの「宙吹き」技法を守りながら革新的かつ高度な技術を追い求める北洋硝子に持ち込まれたのは「りんごガラスペンを作ってほしい」という依頼。偶然にも、2週間の間に3社から連絡がきたそうです。青森県庁観光課の観光情報サイト「まるごとあおもり」チーム、そして昭和から街の文具店として親しまれている八戸市のカネイリ、青森市内に店舗を構える雑貨店、KISUKE(キスケ)……。

ガラスひと筋に技術を磨いてきた職人たちにとって「作ったことないし、そんなの無理」、「できません」というセリフは皆無でした。「まるごとあおもり」チームに、県内で最もガラスペンに知見のある弘前市の老舗万年筆専門店・平山萬年堂を紹介してもらい、監修を受けながら制作をスタート。「やるからには、今まで見たことがないすごいガラスペンを作ろう」と職人魂に火が点きました。

りんごガラスペンに注入された青森県民の“じょっぱり魂”

ゼロからの立ち上げだし、1年以上かかるかも……という見込みを大きく裏切り、約3カ月でりんごガラスペンが完成。20年以上の間で9種類確立してきたガラス工芸の技術に新たな技術が加わることになったのです。

とはいえ、順調に進んだわけではありません。ガラス職人歴30年以上の中川さんも、初めての文具ということで試行錯誤。ところが、ヒントは意外なところに転がっていました。

「見た目はころんとしてるけど、置くときは安定感があります。アイディアのもとはガラスの箸置きでした。りんごモチーフどう表現しようか悩んでいた時、たまたま箸置きの失敗作が工房に落ちていて。これだ!とひらめいたんです」(中川さん)

青森県民の気質を表す言葉に「じょっぱり(頑固でこだわりが強い)」があります。「とにかく私たちは職人気質で負けず嫌い」と笑う中川さん。

「どうせなら、よそで作れないものを作ってやろう!って燃えました。一般的なガラスペンの軸は細めなんです。だけど、うちはあえて太くしました。これは技術がないと難しいので、差別化もできます」

確かに、軸が太目なので手首が安定するうえ、りんご同士の境目が指に優しくフィットします。驚いたのは、ガラスペン1本作るのに、3人のベテラン職人が連携しているということ。ペン軸担当とペン先担当のふたりは次世代を担うエース職人で、研磨担当は職人歴30年以上の“匠”です。

浮玉製造の技術がアップデート。
マイスターたちの技のタスキリレー

取材当日、外は寒波で背丈ほどの雪が積もっていましたが、工房の中は高温の炉や熱せられオレンジ色に発光するガラスからあふれだす熱気でTシャツ姿の職人もちらほら。

バケツには成型のため切られたやわらかいガラスの塊が見られ、その透明感やジェルのようにヌメっとした艶っぽさから、指でつまみたくなる衝動にかられましたが、触ると手が大やけどどころか溶けてしまうほどの高温! それだけガラスには人の五感を刺激する魅力があるのです。

職人の皆さんは、それぞれの持ち場に集中しながら阿吽の呼吸で連携しています。どこを切り取っても絵になりそうな、オーセンティックなモノづくりの現場……。熟練した職人たちが研鑽し合い、独特な緊張感の中でやわらかいガラスと向き合っています。

最初の工程であるペン軸を受け持つのは、青森県の伝統工芸士の認定を受けた舘山美沙さん。1秒1秒の選択をいかに的確にできるか?が問われる緻密な手仕事です。炉で熱して巻き取った高温のガラスを連なったりんごのように揃えながら、固まりきる前に成型し、持ち手にフィットさせていきます。

その後はもうひとりの青森県の伝統工芸士、神正人さんのターンです。ここも職人の勘とセンスが問われる工程なのですが、ペン先を中心にずれないよう接合し、ペン先を均等に切り離します。涼しい表情で、息を吸って吐くように手を動かす神さん。無駄な動きのない、美しい所作に目を奪われます。

駅伝のタスキのように、真剣勝負でつないでいく職人の技術のリレー。アンカーは研磨を担当する工藤一怒さんです。ペン先を目の細かいやすりで研磨し、ガラスペンに仕上げるのです。火を使わず、ひたすらペン先を磨いては確かめる緻密な作業。ガラスペンの特徴である滑らかな書き心地はこのターンにかかっています。

そもそもガラスペンの発明者は、明治期の風鈴職人・佐々木定次郎さんでした。北洋硝子のりんごガラスペンも漁業用の浮玉製造からスタートした北洋硝子が創作。確立された技術の応用という点で不思議な共通項を感じます。

予想以上の反響。
優しい気持ちになれる

オンリーワンの筆記具

津軽びいどろのクラフトマンシップが詰まったりんごガラスペンは販売後、予想以上の反響を呼びました。初年度で1000本以上売れたそうです。

「最初は北洋硝子のFacebookで『こんなのできました』って写真をアップしたら問い合わせが次々来て。『こんなの待ってました!』と注文が全国からくるわけです。ガラスペンが好きな人だけじゃなく、りんごモチーフのグッズを集めている方からも『買いたい』と連絡が来ました」(中川さん)

最初はメールで注文を受け、着払いでパイロット的に販売していました。現在、リアル店舗では青森市の観光物産館アスパム、KISUKE、miageru.、弘前市の平山萬年堂、八戸市のカネイリ番長店、おいらせ町のカネイリ下田店。オンラインでは北洋硝子のWEBショップで販売しています。

そして3月に、東京にオフィシャルショップがオープン。国内外からも注目を集める「東京ミッドタウン八重洲」2階に津軽びいどろのラインナップが並びます。もちろん、りんごガラスペンも!

職人の舘山さんが作っているおそろいのインクポット。もちろんりんごがモチーフです。
りんごのへた部分を作り出すのが難しく、舘山さんの技術あっての商品なのだとか。また、りんごガラスペンにフロスト仕上げの「氷柱ツララ」シリーズがラインナップに加わるなど、アイディアはふくらみ、技術もアップデートされていきます。

今はデジタル隆盛の時代ではありますが、コロナ禍がきっかけで自宅時間が増えたり、デジタルツールでなく手書きが見直されてきたりと、手触り感のあるコミュニケーションを重視する人も増えてきました。

りんごガラスペンをインクにつけ、一文字一文字思いを込めながら丁寧に書く時間は、近年ブームとなっているマインドフルネスにも通じるものがあります。書いた後のにじみや色の変化も愛おしく、書くほどに優しい気持ちになれるところにも惹かれます。

平山萬年堂四代目の平山幸一さん

平山萬年堂四代目の平山幸一さん

ご当地インクには
いろんな青森が詰まっている

同時に惹かれてしまうのが、りんごガラスペンの相棒――インクです。ほかの顔料や絵の具にはない、独特な透明感と情緒的な色合い。 “インク沼”という言葉があるほどハマる人が続出するのもうなずけます。

実は、北洋硝子がりんごガラスペンの制作をスタートさせた裏側には平山萬年堂の存在がありました。冒頭でも触れた青森県観光課の「まるごとあおもり」チームが平山萬年堂のご当地インクを取材した際にりんごガラスペンの構想を聞き、北洋硝子に連絡をとったのだとか。

大正2年創業の老舗、平山萬年堂四代目の平山幸一さんは言います。

「うちはもともと万年筆やインクのお店です。昭和期には小説家の先生も多くお見えになりました。オリジナルインクは17年ほど前から作り始めたんですが、最初に作ったのが弘前城の桜を表現した『弘前ピンクグレー』。そういうニュアンスの色がなかったので、好評でロングセラーになっています」

平山萬年堂オリジナルのご当地インクは9種類。津軽富士ともいわれ、地元の人たちにシンボリックな岩木山を表現した「岩木山ブルーグレー」など、現地でないとわからない繊細な色のニュアンスが特徴で、文字色からワインでいうテロワールがあふれ出てくるようです。

昨年はマゼンタ寄りの「緋桜」を季節限定で販売したところ、すぐに完売。今年は平山萬年堂が創業110年ということで追加販売しているそうです。

このように表情豊かでおのおの世界観をもつご当地インクですが、複数を混ぜて自分だけのインクを作るのもおススメだそう。組み合わせは無限大……。“沼”と名付けられる所以です。

北洋硝子の職人たちが作ったりんごガラスペンやインクポットに光があたると、ふだんは蓋をしているような感情が動いてくるような感覚があります。これが郷愁というものなのでしょうか。

青森が地元で長年住む人、旅行で訪れた人、転勤で住み始めた人、親戚を訪ねて来た人、出張で来た人。それぞれの“青森”が心に内在していると思います。ご当地インクとりんごガラスペンという組み合わせは、新たな感情の引き出しを作り出してくれそうなアイテムだと感じました。ぜひ、お試しを。そして、“沼”へようこそ。

取材・文:奈良岡周
撮影:コバヤシ

商品情報

Product information

ガラスペン:各16,500円(税込)
インク壺:赤8,800円(税込) / クリア6,600円(税込)
取扱店舗:平山萬年堂 / TEL:017-232-0880
WORK&STUDY KISUKE / TEL:017-718-0455
北洋硝子ショールーム / TEL:017-782-5183
津軽びいどろ東京ミッドタウン八重洲店 / TEL:03-6225-2955

北洋硝子株式会社
住所:青森市富田4-29-13
TEL:0177-82-5183
津軽びいどろブランドサイト URL:
https://tsugaruvidro.jp

平山萬年堂
住所:弘前市土手町105
TEL:0172-32-0880

Information

名称/北洋硝子株式会社
住所/青森市富田4-29-13
電話/0177-82-5183
営業時間/9:00〜18:00(不定休)
名称/平山萬年堂
住所/弘前市大字土手町105
電話/0172-32-0880

Product information

ガラスペン/

各16,500円(税込)

インク壺/

赤8,800円(税込) クリア6,600円(税込)

取扱店舗/

平山萬年堂 電話 017-232-0880
WORK&STUDY KISUKE 電話 017-718-0455
北洋硝子ショールーム 電話 017-782-5183
津軽びいどろ東京ミッドタウン八重洲店 電話 03-6225-2955