弘前で出会ったシードルは、
過去飲んだものと別物だった

2023年2月に、青森県・弘前市の弘前れんが倉庫美術館で催されていた奈良美智展(「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」)を観に行きました。明治・大正期に酒造工場として建設され、戦後は日本初のシードル工場として活用されていた吉野町煉瓦倉庫をリノベーションした美術館で、当時の趣をそのままに、弘前の新たな価値創出の場(クリエイティブ・ハブ)となっています。

そう、弘前は日本のシードル発祥地でもあるのです。数年前まではどちらかといえばマイナーな飲み物で、ビールやワイン、日本酒、焼酎、ハイボール、サワーの陰に隠れていた存在でした。弘前生まれ、弘前育ちの筆者ももちろん、20歳になって地元でシードルを飲んだことがありましたが、そのときの記憶はうすぼんやりしており、ほんのり酔える“りんご風味のソーダ”という印象でした。その後、都内のガレット専門店で食前・食中に大き目のボウルに注がれたフランス産シードルを飲んだときはその豊かな風味に「別物じゃないか」と驚いたものです。

私が久々に弘前で味わったシードルはフランス産のシードルを彷彿とさせました。その名も、「テキカカシードル」。「テキカカ」なんて初めて聞くけれど、「チチカカ湖」(ペルーとボリビアにまたがる淡水湖)みたいに語感がよくて、つい声に出したくなります。

ちなみに、お酒は飲めるけどあえて飲まない「ソバーキュリアス」というライフスタイルや、アメリカで大流行したアルコール入り炭酸水「ハードセルツァー」が日本でも徐々に増え始め、日本人のアルコール飲料との付き合い方にも変化の兆しがあります。

共通しているのは「ヘルシーさ」。まだ局地的ではあるものの、シードルの盛り上がりの背景には、人々が自身のライフスタイルやコンディショニングを重視する風潮が少なからず影響しているのでしょう。

歴史あるもりやま園。
受け継がれてきたイノベーター魂

私が味わった「テキカカシードル」は、これまで廃棄されてきた未成熟りんごを活用した世界初のシードルです。その取り組みで2020年に「全国果樹技術・経営コンクール 農林水産大臣賞」を受賞。味わいでは2019年に「ジャパン・シードル・アワード2019 大賞」を受賞し、「料理王国100選 2021年」にも認定。国産シードルの中でも大きな存在となりつつあります。

そんな「テキカカシードル」の工場があるもりやま園は、弘前市内におおよそ東京ドーム2個分のりんご畑を有しています。訪れる客人を迎えるのは、茶トラのかわいい猫!

もりやま園の敷地内を我が物顔で走ったり寝転がったりする猫の周りには、もりやま園のスタッフたちが集まっていますが、20~30代と若手ばかり。

「飼ってはいないけど、りんご畑が好きみたいで棲みついています。うちの社員やアルバイトの学生たちがかわいがっているんですよ」

そう言ってほほ笑むのは、もりやま園の代表、森山聡彦さん。11代目になるそうです。

もりやま園の歴史は古く、明治中期に7代目・森山岩次郎さんらが弘前市樹木にりんご畑を開拓したそうです。近隣には「りんごの神様」と称される外崎嘉七の畑もあり、薫陶を受けながら伝統的な製法でりんごづくりを行ってきました。

りんごが青森県内に初めて持ち込まれたのは明治8(1875)年ごろ。弘前市内のキリスト教系私学、東奥義塾のアメリカ人教師のジョン・イングが、クリスマスに西洋りんごを生徒にごちそうしたそうです。

明治10(1877)年には、弘前の養蚕家・山野茂樹が屋敷畑に試植していたものに3個のりんごが収穫され、栽培が広まっていきました。

加工用・生食用としても優秀なりんごは弘前の重要な基幹産業の一つであり、平成2(1990)年には、青森県のりんご販売額が初めて1000億円の大台を突破。過去最高を記録しました。

明治期の農家にとってりんご栽培は新規事業でビッグチャレンジだったと思います。
森山家には、そういったイノベーター魂が代々受け継がれていました。

歴史あるもりやま園。
受け継がれてきたイノベーター魂

私が味わった「テキカカシードル」は、これまで廃棄されてきた未成熟りんごを活用した世界初のシードルです。その取り組みで2020年に「全国果樹技術・経営コンクール 農林水産大臣賞」を受賞。味わいでは2019年に「ジャパン・シードル・アワード2019 大賞」を受賞し、「料理王国100選 2021年」にも認定。国産シードルの中でも大きな存在となりつつあります。

そんな「テキカカシードル」の工場があるもりやま園は、弘前市内におおよそ東京ドーム2個分のりんご畑を有しています。訪れる客人を迎えるのは、茶トラのかわいい猫!

もりやま園の敷地内を我が物顔で走ったり寝転がったりする猫の周りには、もりやま園のスタッフたちが集まっていますが、20~30代と若手ばかり。

「飼ってはいないけど、りんご畑が好きみたいで棲みついています。うちの社員やアルバイトの学生たちがかわいがっているんですよ」

そう言ってほほ笑むのは、もりやま園の代表、森山聡彦さん。11代目になるそうです。

もりやま園の歴史は古く、明治中期に7代目・森山岩次郎さんらが弘前市樹木に(お寺さんに聞いたら元々この部落の地主だったそうです)りんご畑を開拓したそうです。近隣には「りんごの神様」と称される外崎嘉七の畑もあり、薫陶を受けながら伝統的な製法でりんごづくりを行ってきました。

りんごが青森県内に初めて持ち込まれたのは明治8(1875)年ごろ。弘前市内のキリスト教系私学、東奥義塾のアメリカ人教師のジョン・イングが、クリスマスに西洋りんごを生徒にごちそうしたそうです。

明治10(1877)年には、弘前の養蚕家・山野茂樹が屋敷畑に試植していたものに3個のりんごが収穫され、栽培が広まっていきました。

加工用・生食用としても優秀なりんごは弘前の重要な基幹産業の一つであり、平成2(1990)年には、青森県のりんご販売額が初めて1000億円の大台を突破。過去最高を記録しました。

明治期の農家にとってりんご栽培は新規事業でビッグチャレンジだったと思います。
森山家には、そういったイノベーター魂が代々受け継がれていました。

なぜ、老舗リンゴ農家が
最先端技術を取り入れたのか

森山家の末っ子で初の男児として生を受けた森山さんは、生まれながらに大規模りんご農家の後継者としての宿命を背負っていました。

昭和から平成、そして令和となり、弘前のりんご農家は高齢化が進み、後継者不足・労働力不足といった課題に直面。森山さんは大学卒業後から危機感を募らせていきました。

「実は、1000億円にも及ぶりんごづくりを支えているメイン層が70後半代のりんご農家たちです。体が動く間は現役と考えているような人たちで非常にタフではあるのですが、あと10年もすれば引退してしまう。このままだとりんごがスーパーや八百屋さんから姿を消してしまうかもしれないと思いました」(森山さん)

加えて、付随するさまざまなりんご産業も危ぶまれます。高品質かつ安定的なりんごづくりが50年後、100年後も続いていくにはどうすればいいのか――。

森山さんはりんご栽培の労力と収益が長年見合っていないまま今に至っている背景など、りんご農家が抱える根深い課題の洗い出しをして、労働生産性が高いりんご栽培への舵取りを決意しました。

ターニングポイントとなったのは2008年。のちに他の産業にも影響を与えることとなるICT技術「ADAM」(Apple Data Application Manager) を自社開発して、PDCAサイクルを実践。りんご栽培の労働生産性を改善するDX化、作業の仕組み化をスタートしました。

たとえばりんごの木に識別のためのQRコードが印刷されているタグをつけ、「Agrion(アグリオン)果樹」という専用のアプリで栽培管理をしたり、クラウドにデータを蓄積できるようにしたりと、農業では最先端のICT技術を自社開発しました。

家族総出の手作業や熟練のりんご農家の属人的スキルに頼ってきた保守的なりんごづくりの歴史において、森山さんのような栽培方法は異端だったかもしれません。風穴を開けた森山さんには、やはり先祖代々受け継いできたのは進取の気性が備わっていました。

100年後のりんご農家へバトンを渡すために

「眠っている資源から新しい価値を掘り起こし、創造する」。これはもりやま園のテーマの一つ。
「りんご栽培は手作業が多く、年間の8割弱は葉っぱや枝や実を捨てる作業なんです。初夏に行われる摘果作業では、9割の未成熟りんごが廃棄されます。この時間を新しい価値に変えるため、1億円の投資をして摘果した未成熟りんごでシードルを作り始めました。当時はぶっちゃけ資金も時間も販路もない苦しい状態。マイナスからのスタートでした」(森山さん)

未成熟りんご、すなわち「テキカカ」は青くてピンポン玉大。渋くて酸っぱくて、苦みもあってそのままでは食べられないけれど、ポリフェノールが豊富で、生食用の成熟果10倍もあるそうです。また、フランスのシードル用のりんごの風味にも近いのだとか。

そんな「テキカカ」を有効活用するため、森山さんは約5年の歳月をかけて、ビッグデータを解析して摘果りんごを安全に使用可能にするための栽培管理手法を実用化しました。廃棄対象だった「テキカカ」を農産物として収穫可能とすることに成功したことで、フードロスに繋がっていたものが、今では年間3000万円以上の収益化に急成長しています。そして、売上の7割近くをりんごの加工品が占めるようになりました。

これまでマイナスでしかなかった摘果作業に新たな価値づけがされたことで、りんご栽培に携わる人たちの賃金のみならず、モチベーションアップにも大いに貢献しています。

森山さんがたびたび口にするのは、「農林水産業に携わる人たちの労働生産性の壁を打ち破り、他の産業とそん色ないぐらいに高めたい」。中学校時代、同級生から「農家って大変そう」とかけられた言葉も、こうした取り組みに向き合うようになった原体験なのかもしれません。

森山さんをはじめ、もりやま園の社員たちはみんなとことん深掘りして最適解を導き出したくなる気質の持ち主たち。なんと、りんご農園ながら醸造免許も自社で取得しました。

食中酒としてもどんな料理にも合わせられるシードルにするため、あえて生食用のりんご果汁を3割程度入れているそうです。私もいろいろな料理に合わせてみましたが、個人的には餃子との相性を感じました。

100年後のりんご農家へバトンを渡すために、農業ビジネスの課題を解決し、在り方を変えた森山さん。自分のりんご栽培の手法を変え、青森県のりんご栽培を変える。それが農業を成長産業にし、モノづくりに携わる人たちの人生や消費者のライフスタイルをも変えていく――。

100年以上続いた家族経営に区切りをつけ、ベンチャー企業としてリ・スタート。
保守的なシステムをドラスティックに変えるビッグチャレンジから生まれた「テキカカシードル」。弘前がふたたび「シードルの聖地」となる日は遠くありません。

取材・文:奈良岡周
撮影:コバヤシ

Information

名  称/もりやま園株式会社
住  所/青森県弘前市緑ケ丘1-10-4
TEL/ 0172-78-3395
URL/ https://moriyamaen.jp/